臓器移植法(臓器の移植に関する法律)が改正されてから、もう1年を経過したんですね。あの時点で、既に参議院は野党が多数でしたし、当時の与党内も一枚岩ではなかったようなので、改正法が成立することはないのではないかと危ぶんでいました。
それが、「年齢を問わず、脳死を一律に人の死とし、本人の書面による意思表示の義務づけをやめて、本人の拒否がない限り家族の同意で提供できるようにする」とした、いわゆるA案で参院まで通過し、成立してしまったのには、むしろ驚きが先に立ちました。
もちろん私個人はA案の絶対支持派だった訳ですが、よくもまあ民主党、社民党、共産党内に猖獗を極める"人権派"どもがみすみすこんなまともな法案を通したなぁ、というのが正直な印象でした。ともあれ、最も望ましい法律に改正されたことにいささかからずホッとした次第です。
そしてこのたび、改正された臓器移植法に基づいて、家族の同意のみで脳死患者よりの臓器提供がなされました。ご家族の英断に敬意を表し、亡くなられた提供者のご冥福を心より祈ります。
改正法の成立に伴って、わが家でも妻といろいろ脳死移植について話し合いました。私はまだ臓器提供意志表示カードこそ用意していませんが、もし不慮の事故などで脳死と判定されたら、可能な限りたくさんの臓器を必要な人に役立ててもらいたいと考えています。
もっとも、大酒のみのヘビースモーカーだった若い頃の悪行が祟り、私の体は結構いろいろなところにガタがきていて、そう多くの臓器が提供可能なコンディションである自信はないんですけどね (^^;)
それでも、できるだけ役立てたいとする私の見解に対して、妻は「できたら臓器提供はしたくない」と考えているようです。
個人的には望ましい方向に改正されたこのたびの臓器移植法ですが、それでも家族の同意なしに提供することはかないません。
今日これを書き上げて、自転車に乗って買い物に出たらその場で不幸な事故に遭遇する可能性だってゼロではなく、私にあとどれくらいの時間が残されているのかは分かりません。それに第一、天寿を全うしてしまったら臓器移植の機会もない訳ですしね。
それでも万が一の事態のために、これから折に触れて妻と臓器移植については話し合い、説得の機会を設けていきたいと思っています。妻自身の臓器を提供するように求めることまではできなくとも、せめて私の臓器は提供が可能になるよう、家族の同意を得ておきたいと思うのです。
私が死んじゃった後の話になるので、結局は妻に任せるしかないんですけどね。悩ましい問題ではあります。
ジャーナリストの稲垣武さんがお亡くなりになりました。
稲垣氏の文章をそれと認識して初めて読んだのは、著書「悪魔祓いの戦後史」を書店で偶然手に取った時でした。私はオカルト、神、悪魔、宗教などにも興味があるもので、最初は本当に戦後のゴタゴタに紛れて山ほど現れた新興宗教の悪魔祓いについてまとめられた本かと思い、棚から拾い上げた、という次第です。
ところが、内容が戦後の朝日新聞と進歩的文化人に対する告発の書だったので驚きました。論旨はカミソリのように研ぎ澄まされて切れ味鋭く、文章も闊達で読みやすいものだったので、仕事の合間に2日ほどで読み切ってしまったことを覚えています。
インターネット書店で本を買うようになるまで、私はあまり本を書店に注文するということがなく、見つけたらその場で買うということをモットーにしておりました。いやなに、単に面倒だったというだけですが。
それで、稲垣氏の著書はこれ1冊でしばらく止まっていたのですが、取材で遠方に旅していた時、読むものが途中でなくなってふらりと入った駅前の書店で「朝日新聞血風録」を発見、これも貪るように読みました。
稲垣氏が朝日新聞社内で数少ない保守派・正論派であったことと、それによってどれほどの理不尽な仕打ちを受けてきたかが、この本には克明に記されていました。当時の世相と朝日新聞の論調を記憶する者にとって、これらの本は時代の証言として大変価値のあるものだと思っています。
ほどなくして月刊「正論」誌にも連載「マスコミ照魔鏡」を始められ、これもずいぶん愛読しました。
一昨年頃でしたか、大病を経られてずいぶんげっそりなさった稲垣氏が「正論」誌で座談会に出席されていました。「僕はもうすぐ死ぬけどね」などと冗談めかしておっしゃっているのを読むにつけ、どうか再びお元気を取り戻して下さるよう、祈るような思いでいたのですが、どうやらそれもかなわなかったようです。
稲垣さん、兄のご尽力の賜物か、あの朝日新聞もずいぶん変わってきたように思いますよ。日本そのものが進歩派の呪縛から解かれるまでにはまだ長い年月がかかりそうですが、稲垣さんが蒔かれた種は、及ばずながらわれわれが育てて参ります。
お疲れ様でありました。どうかごゆっくりお休み下さい。
このエントリは、敬愛するkinnyさんのエントリ「どっかの落書きとして97」のコメント欄へ書き込もうと思って書き始めたら、とても収まり切れなくなったので、エントリにまとめてしまったものです。よろしかったら、未読の方は先にkinnyさんのエントリをお読み下さい。
「人は永遠に生きたいと願う衝動によって子孫を残し、いい女を手に入れようとし、カネを得ようとし、ゆえに罪を犯し、名を残そうとする」
kinnyさんはこう説かれます。しかし、時に価値の倒錯が起こり、
「最高の価値であるハズの時間を、みずから放棄してしまう」
ということが起こります。その積極的な表現が自殺であり、消極的な表現がホモセクシュアルや少子だ、というkinnyさんのご発言に全く異論はありません。
同性愛の問題については、胎児の頃に母胎内のホルモンバランスが崩れて性同一性障害になるという説もあるので、少なくとも一部は器質的な面を認める必要があるかと思いますが、そういう面を除外してもなお、タナトスの暴走による自死、自壊への衝動は、抗い難く存在しますね。
少々陳腐な視点になってしまいますが、昨今の教育、足が速いことが評価されずに全員が一等賞とされてしまうといった、いわゆる平等教育について、あれは子らを皆大切にしているふりをしながら、その実は蔑ろにしているのだと個人的に考えております。
あの醜悪さは、「命を大切に」と軽々しく連呼し、また普天間飛行場移設問題に「命をかける」と衆目の前で発言しながら、何の責任も取ろうとしなかった前首相の姿とぴったり重なり合います。
こういう世に育つ子供たちは、最も大人の庇護を要する幼少期に「大切にされていた実感」のようなものがないままに育ってしまっているのではないかと懸念するものであります。
わが生家は父親がどうしようもない人間の屑で、愛情らしい愛情を受けた記憶がありませんが、その分母親と叔父が溢れんばかりの愛情を注ぎ、叱り育ててくれました。そのおかげなのだと思います。私には、ありがたいことに友人の子らがよく懐いてくれています。
一概に「昔は良かった」というのも考え物でしょう。今の方がまだしも貧富の差は少なくて、小卒で丁稚奉公に出されるようなことはまずありませんし、法整備も進んで児童に対する犯罪へ厳しい目が配られるようにもなっていますからね。
しかし、かつての日本に間違いなく存在していた地縁、血縁に基づく濃厚な人と人との関わりは、その中にいる子の心を豊かにしていたのではないかと、それらが失われてしまった寂しさとともに、想起されるのです。
心豊かに、自分が大切にされているという実感を伴って育ち、親の世代や年長の仲間からこれから大切にすべきもの、守っていかなければならないものについて教わっていく。こういう人同士のつながりが希薄になったことで、現代人は死による自らの断絶を恐怖の対象として実感できなくなってしまっているのではないかと思うのです。
他人事のように言っていてはいけません。私も学生時分頃までは「別にいつ死んでも構わないし」などと思っておりました。あれほどの愛情を受けて育ったのに、不覚なことであります。
しかし、仕事を始めてそれなりの責任が生じ、誰かに信頼されること、自分なしに動かないプロジェクトなどに関わることが増えてきて、この時間を生きることの大切さに少しずつ目覚めていきました。
そして、妻とともに生涯を過ごすことを決意した時から、私は迂闊に死ねなくなりました。子ができたなら、それはもう遥かに揺るぎないこととなるでしょうね。
私は自らに与えられた時間を精一杯生き、お迎えが来た時には妻をはじめとする親族に「ありがとう」と言って死ねる人生を目指します。
そして、それまでの残り時間、自分より若い世代へ、あの軽薄な前首相より少なくとも伝わる言葉で、自分を大切にし、自分と関わる他人や周辺を大切にし、人生の残り時間を大切にするよう伝え続けたいと思います。
よみうりテレビ解説委員長の辛坊治郎さん、9月で退社されるんだそうですね。
兄上の正記氏と共著で出版された「日本経済の真実-ある日、この国は破産します」の梗概を見ましたが、辛坊さんはやはりすべて分かっておられたのだな、という印象を持ちました。
私が辛坊さんの言論に触れたのは、自宅作業が中心となってテレビをよく見始めたここ10年ほどのことです。朝番組の新聞記事解説や政局のまとめなどを聴いていると、非常に歯切れが良く、日頃テレビではうやむやにしてきた事柄にもどんどん切り込んでいく言葉に、「読売グループにもすごい人材がいるんだな」と瞠目したものです。
しかし、特にここ3年くらいかな、さしもの辛坊さんも切れ味が鈍り、読売新聞の論調に飲み込まれてしまった感がありました。同時に、何やら奥歯にものの挟まったような表現が目立つようになり、「やはりああいうところへ"宮仕え"しているとああならざるを得ないのか」と、残念な思いでいたものです。
そういう論調に傾くと同時に、長年務められた「ズームイン」の解説枠が徐々に減少し、今年になってついにすべてなくなってしまいました。関東地方で辛坊さんの顔が見られるのは土曜日朝のYTV制作「ウェークアップ!ぷらす」だけになってしまっているんじゃないかな。そう熱心なテレビ視聴者ではないので、見落としている番組があるかもしれませんが。
そういう状況で、1人の名解説者が遠ざかっていくのを残念に思っていたら、前記の本の出版です。いかに読売グループというところが言論の不自由な場所か、これで白日の元に晒されたというべきでしょうね。たった1人の国賊爺さんにここまで言論統制される組織も珍しいのではないでしょうか。あ、まさに共産党がそうか。渡辺恒雄氏はもともと共産党員だったそうですからね。
よみうりテレビを退社された辛坊さんは、当面シンクタンク職員として勤め、大阪府議会議員から府知事を目指すという推測がなされています。辛坊さんと現・大阪府知事の橋下徹氏はかねて親交がありますし、「日本経済の真実-ある日、この国は破産します」の見出しを見ただけでも、日本の先行きに対する危機感は共有されているものと思われます。
おそらく、この2人がタッグを組めば、大阪は一気に体質改善が図られるでしょう。橋下知事の大阪都構想がより良い形で実現するのではないかと思います。
しかし、この2人には大阪で止まっていてもらっては困ります。大阪を一刻も早く望ましい形に整備し直し、次は日本全体を改善することに取り組んでもらわねばなりません。このお2人にはそれだけの力があると思いますし、国政へ進出しても意見を共有できる人は多いと思うのです。
何せこれだけの知名度を持つ人たちです。慎重に人選を進める必要はありますが、神輿に乗って多数を目指せば、比較的早期に大きな勢力を持つことも可能ではないでしょうか。いざ国政でそういう事態となれば、私も全力で支持することでしょう。
望むらくは、みんなの党とタッグを組んで国を先に進められんことを。いや、その頃にはもうみんなの党の枠組みは発展的解消を遂げているかもしれませんね。
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このところ、あまりにも危惧していた通りに政局が進むので、政治関連のエントリを上げることに倦んでおりました。
菅直人首相になって、民主党政権ますます確信犯的左翼政権の様相があからさまになってきましたね。
朝鮮併合100周年に当たっての菅首相談話、「完全かつ最終的に決着した」はずの日韓基本条約を独断で反故にしてまで韓国に追加賠償を行おうとする仙谷官房長官の見解、国会議員の歳費日割り法案という大変分かりやすい「自らの身を切る」法案にも後ろ向きで(これは結局自民も談合して大幅後退で決着してしまいましたね)、公務員の給与削減もせず、埋蔵金も掘り進めずにバラマキのみを続け、FTAなぞとうに忘れたような素振りでおくびにも出さずに農家戸別補償のみ堅持する。
まだまだありますが、もう書いていて嫌になりました。
そんな中でようやく一服の清涼剤となったのが、昨日の松原仁氏の代表質問でした。質問(というより要請・牽制ですね)内容を引用しておきます。
-以下引用-
「さまざまな(首相・官房長官)談話で、日本外交に大きな問題が出た。(併合談話は)極めて慎重に(すべきだ)。少なくとも与党内で議論、合意することを含めた手続きを強く要請しておきたい」
-引用終わり-
与党からの質問ですら反旗を翻されるのですから、もう本当に考えなしというか独断専行というか、この1点からも菅内閣の確信犯ぶりが明白になりますね。
余談ですが、朝日新聞は松原仁氏を「小沢系」と紹介していますけど、松原氏のキャリアを追っても小沢氏と親しかった時期なんてないじゃないですか。新生党→新進党→自由党と所属していますが、民主党入りする前にごく短期間民政党に所属している訳ですし。
これはもう、デマによって松原氏を貶める悪質な策謀と推測せざるを得ません。だから朝日は信用されないんです。
しかし、まだ松原氏を含む民主党内の心ある保守派議員の挙げる声は少なすぎ、小さすぎます。自党の暴走に危機感を募らせているのなら、党を割る覚悟でもっと強く叫ばなければならないと、個人的には強く思っています。
かつて「民主党の保守派議員にももう全く期待していない」と書きましたが、それをお詫びの上削除する気にはまだなりません。彼らにはもっともっと頑張ってもらわねば。
民主党政権がこんな体たらくだからといって、ならば昨年の政権交代がなかった方が良かったかといえば、私はまだそうとも思えません。
官僚や特殊法人、利権団体とべったり癒着して引き剥がすことが不可能になっていた自民党政権をとにかく一旦解体する。それでもなお剥がれない利権どっぷりの議員はむしろ自民党から剥がして捨て、党内に少なからざる勢力を保持しながら守旧派に邪魔されていた保守・改革派の議員で再出発を図る。
これができなければ、内部にどれほど優秀な人材を抱えていようとも、自民党は国益を毀損するばかりで国を立て直すことなぞ望むべくもない、というのは自明でしたからね。
しかし、自民党に限らず、そういった真に国を思い、危機に瀕した愛する国と郷土を立て直すために奔走するような政治家は、現状のところそう多くないと見て間違いないでしょう。
昨日、わが選挙区の前・衆議院議員、三ツ林たかし氏(自民党)が亡くなられました。まだ57歳になったばかり、心筋梗塞による急逝と新聞は伝えます。
私も引っ越してきて以来、三ツ林氏の2期目、3期目の当選に貢献してきました。別に三ツ林氏の政見に惚れ込んで投票していたわけではありません。町村派所属の候補だったので、篤く支持をしていた小泉首相(当時)に反旗を翻すようなことはよもやなかろうという、至って消極的な支持でありました。
三ツ林氏がどんな政見を唱えていたかというと、
-以下引用-
○経済対策の充実により景気回復、雇用の確保を推進します。
○医療・年金・介護など、安心できる社会保障制度への見直しを進めます。
○産科・小児救急医療体制の強化や子育て支援施策の充実を図ります。
○医療・介護予算を充実し、医師不足、介護職員不足の解消を目指します。
○地域農業の振興、地産地消・食育を進め、食料自給率の向上に努めます。
○中小企業支援及び地域活性化対策の強化により、地域の元気を再生します。
○地方分権の推進と地方財源の充実を図り、国と地方の協議の場を作ります。
○未来を担う子ども達のため、新しい教育基本法の理念をかたちにします。
○地球温暖化対策を推進し、環境と経済の両立する低炭素社会を目指します。
○利根川や江戸川などの堤防強化対策を推進し、治水・利水の充実に努めます。
○圏央道や東埼玉道路などの建設促進、新四号バイパスの四車線化を進めます。
○つくばエクスプレスの東京駅への延伸、地下鉄八号線の建設を推進します。
○再生医療など生命科学や最先端の科学技術の研究開発を推進します。
○外交・防衛施策の充実に努め、日本を守る体制作りを進めます。
○北朝鮮による拉致問題やミサイル・核開発問題の解決に取り組みます。
-引用終わり-
(三ツ林たかしホームページより)
何ともはや、総花的というか手当たり次第というか、これでは「公約」ではなく単なる「努力目標」でしかない羅列ですね。しかし、田舎代議士なんてこんなもの、というのがこれまでの通り相場だったのではないでしょうか。
昨年の総選挙では、わが埼玉14区は確信犯的左翼人士と言わざるを得ない中野ジョー氏(民主党公認候補)と「田舎代議士」三ツ林氏の事実上の一騎打ちでした。おかげで私は白票を投じるという極めて残念なことになってしまいました。
一方の比例北関東ブロックには山内康一氏のような有為の人材が落下傘で舞い降りてきてくれました。思えば三ツ林氏、山内氏より2期も先輩なんですね。勉強しようと思えばいくらでも機会があったろうに、と残念な気持ちでいっぱいです。
しかし、有権者は「田舎代議士」にも「確信犯的左翼」にもノーを突きつけ続けなくてはなりません。そして、山内氏や惜しくも先の参院選で落選した小林つかさ氏のような人材が現れたら、全力で支持すればいいのです。
われわれ有権者が変わっていかなければ、今後も政治は変わっていかないでしょう。厳しい道のりですが、まず自分たちから意識を高めていかねば、と思う今日この頃です。
末筆になりますが、三ツ林たかし氏のご冥福を祈ります。
何せわが業界、メーカーも販売店もメディアも若者より中高年の方がずっと元気ときていまして、小生などもう40代も半ばを過ぎたというのに業界ではヒヨっ子もいいところなのですが、そんな私にもたまに「若いお客さんにノウハウを教えてやってくれ」と講演のお声がかかったりします。
こういう機会は極力逃さないように、講演料など出なくとも、手弁当で駆けつけるようにしているのですが、残念ながら今はなかなかそうやって入門者にノウハウを伝授する機会が減ってしまっているように感じます。私も秋葉原や友人の経営するショップにはそこそこ呼ばれますが、なかなか地方まで手弁当で駆けつけるのも難しいものがありますし。
私の少年時分、師匠は街の自転車屋であり、オーディオショップでした。
自転車の場合は、中学生のころ、当時大流行で私も乗っていたセミドロップ・ハンドルで5段変速の「ジュニアスポーツ」をドロップ・ハンドルに交換してもらおうと訪れた自転車店が発端です。
「何だ、そんなもの簡単だぞ。工具を貸してやるから自分でやってみるか?」
店の親爺さんがかけてくれた言葉に、私は思わず飛びつきました。以来、親爺さんに教わりながら、お年玉が入ったといっては5段変速を10段変速に、また15段変速に取り替え、タイヤも細いのやら太いのやらいろいろと試し、ブレーキも一流品に交換と、もはや原型をとどめないまでに改造の手を加え、一通りのノウハウを身につけました。
タイヤを交換した時にうまくチューブをタイヤの中に配することができず、新品のチューブを破裂させたり、いろいろと失敗もしましたが、高校生になるころにはスポークの1本から自分で自転車を組むことができるようになっていました。当時乗っていた3台(ロードレーサー、ランドナー、ジュニアスポーツのなれの果て)は全部自分で組み立てたものです。
一方、オーディオ関連で最初の"師匠"はFM雑誌でした。AMの深夜放送を卒業してFM放送を聴き始めたころ、新聞より詳しい番組表が載っているからとFM雑誌を買い始めたんですが、そうしたら、当時(1980年代初頭)のFM誌はオーディオ記事がてんこ盛りだったんですね。新製品やコンポーネンツの組み合わせガイド、そしてセッティングやクリーニングなどのちょっとしたノウハウ集など、今も手元に何冊か残る当時の雑誌を読み返してみても、これは相当の情報量で、しかもかなりマニアックです。
むさぼるようにそういう記事を読んではいろいろと対策をして再生音を向上させ、いっぱしのオーディオ通のような顔をして出入りしていたのが、地元のオーディオ店です。そこは今思えばとてつもなくマニアックな店で、FM誌を読んで分かったような気になっている高校生なんぞにとても真価の分かる品揃えではありませんでした。
でも、そこの親爺さんもまたずいぶん面倒見の良い人で、ちょっとした小物類や中古アクセサリーくらいしか買わない若造に、惜しげもなく古今東西の名器を奏でて聴かせてくれました。
中古レコード店を漁った後にふらりと訪れると、「おう、兄ちゃん。面白いアンプが入ったぞ。今日は何かレコードを持ってるか?」と、早速拾い上げてきたばかりの盤を当時50万円もした高級プレーヤーに載せてくれる、そんな親爺さんでした。
私はつくづく先達に恵まれていた。それはもういくら感謝してもし足りないほどです。それだけに、先達から伝授され、自分なりに実験・応用して積み上げたノウハウは、できるだけ次の世代へ受け継いでもらいたいと思い、前述のように手弁当で駆け回っているという次第であります。
先にもエントリしましたが、昨今こういう「街の自転車屋」「街のオーディオショップ」という存在はどんどん数を減らしています。大店化の時代であり、さらにインターネット通販も隆盛を極めているこのごろですから、個人営業のショップはコストで太刀打ちできず、消えてゆくのは仕方のないことかもしれません。
しかし、膨大なノウハウを持った店主はホームセンターの自転車売り場や家電量販店のオーディオ売り場には存在しません。ましてインターネット通販では、ノウハウの継承しようがないというものです。
幸い、わが業界では東京は秋葉原、大阪は日本橋(にっぽんばし)、名古屋は大須と、いまだ高度なノウハウを持つオーディオショップが何軒か軒を連ねる街があります。また、各地方にもびっくりするほどマニアックなショップがまだまだ多数存在しています。
確かに、インターネット通販に比べればこういうお店のプライスタグは割高かもしれません。しかし、そういう店の多くには、お金で買えないノウハウがぎっしりと詰まっているのです。
趣味の業界はどこもそうだと思いますが、オーディオ業界だって「何を使っているか」よりも「どう使っているか」が死命を制する世界です。「製品の売買」からさらに一歩先、購入した製品でどんな音楽の世界を構築したいのか、そのためにはどうすることが必要か、そういったところまで踏み込んだアドバイスのできるショップを、もっと活用してほしいものだと思います。
ちと下世話な話になりますが、1品ずつは高くても、こういうお店では好みに合わない製品を購入するリスクも減らせますし、トータルでは安く上がる可能性が高いのです。
以下、余談です。
何年か前、帰郷した時に懐かしいオーディオ店と自転車店を訪ねました。私が入り浸っていたころ壮年の面持ちだったオーディオ屋の親爺さんはもうすっかり好々爺となり、店には出ていますがもう息子さんにほぼ代替わりが完了した格好でした。古今の名器を連ねた店構えは今もほぼ変わりません。
一方の自転車店は、あの親爺さんが今も店を切り盛りしていました。息子さんは東京の大学を出て研究者をされているそうです。
かつて「僕も将来は自転車屋になりたい」と親爺さんに話したら、「やめとけやめとけ。こんな商売儲からんぞ。俺が一生懸命働いてるのも、息子にいい大学行かせてこんな店を継ぐ必要をなくさせるためだ」とあっさり止められたことがありました。親爺さん、ご自分の言葉を完璧に実践されたんですね。
すみません、最後はちょっとセンチメンタルな思い出話になってしまいました。
この7月27日をもちまして、ブログ開設からまる1周年となりました。以来220エントリの駄文を費やし、18時45分現在で12万6,802アクセスを頂いています。こんな過疎ブログへこれまでおいで下さった皆様、駄文をお読みいただいた皆様へ、心よりの感謝を捧げたいと思います。
元はといえば、昨年8月の総選挙へ向けて、せめて貧者の一灯をと始めたブログでした。九牛の一毛にもならなかったでしょうけれど、それでも当ブログで支持した山内康一氏は当選を果たし、みんなの党は躍進を遂げました。ブログを立ち上げてからわずか1カ月と少しの"快挙"に、胸を熱くしたものです。
しかし、政界は好むと好まざるとに関わらず民主党の天下になり、混迷の度を刻一刻と深めていきます。
最初はこの民主党時代こそ自民党が健全な保守政党へ生まれ変わるチャンスと捉え、次期参院選までは民主党に頑張ってほしいなどというエントリも上げたものですが、これは大いなる間違いでありましたね。去る参院選で民主党が勝利していたら日本がどうなっていたかと考えると、背筋が冷たくなります。
また、保守政党に生まれ変わるかと期待していた自民党は、期待とは全く逆、名実ともに保守の旗を下ろしてしまいました。唯一「小さな政府」を掲げて総裁選に立った河野太郎氏を、こともあろうに私が個人的に保守政治家として篤く支持していた森喜朗、安倍晋三の両氏を含む勢力が、泡沫候補まで立てて妨害するという挙に出たところで、私は自民党、森喜朗、安倍晋三、という人や団体に対して、一切の期待をすることをやめました。
今となっては、自民党は一刻も早く解体してほしいと心より願っています。
一方、民主党は想像を遥かに越えるダメ与党でした。無駄遣いの排除による予算の捻出が一向に進まないのにバラマキのみを先行させ、歳入よりも赤字国債の方が多いという愚か極まりない予算を立てるのみならず、「落としどころに収まったいい予算だ」と宣ったり、「脱・官僚」を宣言しておきながらあからさまな財務相主導の予算を組んでみたり、天下りの排除を声高に叫んでいたのに郵政の社長に「官僚の中の官僚」元・大蔵次官の斎藤次郎氏を起用したり、もう挙げていったら切りがありません。
いくら左がかりの多いごった煮政党だからといっても、民主党の中には保守派、正論派の議員も数多く在籍していますから、あまり暴走することもないだろうと思っていたら、これもすっかり裏切られました。民主党が政権を奪取してもう11カ月になろうとしていますが、その間、保守派とされる人たちが声を挙げたところを残念ながらほとんど聞いたことがありません。
ごくわずかに聴こえてくる声も、「小沢氏は選挙の邪魔だからいなくなれ」といったものばかり。自分たちの政見を実現させるために声を挙げているのではなく、ただ選挙に負けそうだからというだけなのですね。個人的に、民主党の保守派と呼ばれる人たちへも一切の期待をすることがもはやできなくなっております。
野に下った自民党からは、それこそ沈みかかった船から逃げ出すネズミのように、バラバラと人が離れていきました。与謝野馨氏は先に追い出されていた平沼赳夫氏と「たちあがれ日本」を設立、舛添要一氏は改革クラブを乗っ取り新党改革に模様替えして党首に収まり、鳩山邦夫氏は飛び出してはみたものの誰もついてこなくて途方に暮れている、という状況のようですね。
この手の人たちが飛び出してゆくのも予想の範囲内でしたし、どうせ自民党と同じで早晩滅ぶ方向性の人たちですから、気にはなりません。現に今次参院選では惨敗しましたしね。
唯一、予想外だったのは日本創新党がたちあがれ日本と共闘したことでした。日本創新党は地方議会や行政で一定の実績を挙げた腕利き政治家が集って立ち上げた政党で、「地方分権」「脱・官僚」を唱えていますから、「中央集権」「官僚主導」のたちあがれ日本とは対極にある政党だと思っていただけに、このニュースが飛び込んできた時には、一体何が起こったのか耳を疑いました。
そのせいか別に原因があるのかは分かりませんが、日本創新党も参院選で惨敗。この次はタッグパートナーを考え直すべきだと切実に思います。
この1年で躍進に継ぐ躍進を遂げたのは、何といってもみんなの党でしょうね。立党わずか1カ月の衆院選で5議席を獲得、1年後の参院選では何と10議席の大台に載せ、非改選の川田龍平氏と合わせて11議席となり、単独で法案を提出できる勢力にまで成長しました。
私自身も改革政党として、日本を将来へ導くことのできる政党は、みんなの党を措いて他にないと確信していますが、最近になってちょっとキナ臭い匂いもただよい始めています。日銀法改正とリフレ政策です。
何やらリフレというと自動的に景気が良くなって雇用が改善するように思われている人が多いようで、そういう人たちが雪崩を打ってみんなの党を支持し始めているようなんですが、そんなにうまくいく政策ならとっくに他人がやっていると、私は個人的に思っています。
国民の支持が高まっている今こそ、渡辺代表は小泉純一郎・元首相が就任早々にブチ上げられた「米百俵」の精神を、国民へ訴えかけるべきだと思うのです。今は苦しくても、ここで踏ん張って未来を切り開くのだ。今、これを唱えることができるのは、みんなの党の他にないでしょう。
前にも書きましたが、みんなの党が「Your Party」ならぬ「Populist party」になってしまっては、日本は救われません。ここが頑張り時だと思うのです。
参院選で応援していた候補が全員落選の憂き目に遭い、少々政治に関して云々することに倦んでいたせいで、久しぶりの政治ネタとなりました。妄想・駄文の書き散らしが今後も続くと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。
親愛なる読者の皆様へ
愛國音響社・敬白
全日本吹奏楽コンクールは、社団法人・全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が主催する、アマチュア吹奏楽団を対象とした音楽コンクールです。第1回の大会は1940年で、戦中・戦後の休止を経て1956年に復活、以後毎年1回の開催を重ね、本年で数えて第58回となります。吹奏楽業界で最も伝統があり、かつ最も重大なイベントというべきものです。
そうはいうものの、どんなイベントもそうでしょうが、吹奏楽コンクールも内部に大きな問題を抱えています。
兵庫県立芸術文化センター管弦楽団・芸術監督の佐渡裕は、今や日本を代表する指揮者の一人といって過言ではないでしょう。
佐渡の略歴を述べておきましょうか。京都市立芸術大学のフルート科を卒業後、小さなアマチュアの合唱団やオーケストラ、吹奏楽団などを指導しながら指揮コンクールへの応募を続け、"縁"としかいいようのない偶然によって「こいつ、セオリーなんかメチャクチャだけど面白い音楽を作る!」と小澤征爾とレナード・バーンスタインの目に止まり、日米の両・大指揮者のアシスタントに就任、その後仏ブザンソンの指揮コンクールで優勝してプロデビューを果たし、主に日本とヨーロッパで高い人気を博する。
こういう人なんですが、そんなマエストロ佐渡が修行時代、ある大学の吹奏楽部を指導してコンクールに臨んだことがありました。最初は拙い演奏だったその楽団も、指導者(=指揮者)と演奏者が一心同体となるほどの練習を行った末、かなりの達成感を伴った演奏が行えたそうです。
しかし、会場での審査は「銅賞」(注:吹奏楽コンクールは「金賞」「銀賞」「銅賞」の3ランクに審査され、金賞の一部が上位大会へ進むことができる)。講評にはこうあったとか。
「文化祭では受けるかもしれないが、コンクールでは評価のしようがない」
若きマエストロは、その講評を書いた審査員のところへ指揮棒を投げつけに行ったそうです。
コンクールという形式上、ある程度の制限が課されるのは致し方ないと私も思います。ことに音楽は何物かが絶対的に優れている、劣っているというものではなく、演奏者の、あるいは聴衆の好みに依存する部分の大きなものですから、そういう部分を排して序列をつけようとすると、勢い技術論的なものが評価の主たる部分となってしまうのですね。
しかし、おかげでコンクールを通じてしか吹奏楽と触れ合ったことのない中~高生は、音程が正しく、団員各自の音を鳴らすタイミング(業界内では「縦」と呼びます)が揃っていればよいのだ、という認識を持ってしまいます。
「ベルリンフィルなんかより全国大会常連の○○高校の吹部(最近の若い子たちは吹奏楽部を略してこう言うようですね)の方がずっと上手い」
これ、あの子たちにとってはある意味で真理なんです。吹奏楽コンクール全国大会へよく顔を出す学校の吹奏楽部は、こと音程と縦に関しては徹底的に鍛え上げられていますからね。
でも、真顔でこんなことを言う子たちがいる、それもそう特殊な存在ではない、という事実は、本来音楽団体たるべき吹奏楽部(あるいは吹奏楽団)にとって、ある意味で致命的なことだと思うのです。
音楽演奏者の役割とは、作曲家が心に閃いた音楽(楽想)を聴衆へいかに自分たちなりの良い形で届けるか、ということを第一義にせねばなりません。それには、演奏者自身も音楽に入り込み、音楽の構成要素の一つとして自ら楽しまなければ、お聴きいただいているお客様へ音楽の楽しさが伝わるわけはないのです。
私の手元に、コンクール全国大会常連校が自分たちの演奏を一流の音楽家に指導してもらう「バンド・クリニック」の模様を収めたCDがあります。そこで現在の一流コンクール・バンドがどんな演奏をしているか。
一言でいうと、真綿で首を締め上げられたような演奏です。統制は極めて厳密に取られていますが、旋律の楽しさ、ハーモニーの甘美さ、リズムの躍動感といった音楽の醍醐味がまるで聴く者に伝わってきません。
当日、ちょうど来日中にゲストで参加していたスペインのバレンシア市音楽団が最後に演奏しているのですが、そのカラフルで躍動的なことといったら! コンクール上位校に比べて音程や縦は揃っていなかったかもしれませんが、そのどちらが音楽を聴衆に伝えたかといったら、もはや異論の余地はなさそうです。
クリニックに参加した学生さんたちは、あるいは私と同じCDを購入した若者たちは、彼我の演奏をどう聴いたでしょうね。「あれ? バレンシアの方が楽しそうだぞ」と聴こえていれば、まだしも救いはあるのですが。
下に関連付けたニュース、吹奏楽コンクールへ向けて練習中だった中学生が次々と過換気症候群で倒れたんだそうですね。ただでさえ息を使う管楽器です。その上あんな演奏を強いられていたとすれば、そりゃ倒れても当たり前ですよ。
厳しく練習することにもちろん反対はしません。しかし、その道の先にある完成品が音楽とは似ても似つかない「競技のための演奏」であるならば、演奏している生徒さんが音楽好きであればあるほど救われないと思うのです。
ずいぶん長々と書き連ねてしまいました。こんな過疎ブログを読んで下さっている人の中に、吹奏楽部所属の若者や指導者の先生がおられるのかは分かりませんが、もしご覧になっていれば、せめてコンクールが終わった間くらいは楽団としてじっくりいい音楽に取り組んでいただければと思うのです。
吹奏楽というのは本来、どんな喜怒哀楽も人情の機微も映し出すことができる器だと、私は考えています。愛の尊さを、恋の浮かれ楽しい気持ちを、別離の悲しみを、死への恐怖を、お聴きいただいているお客様へダイレクトに伝えられるような、そんな音楽を目指そうじゃありませんか。
以上、40代半ばを過ぎてまだ楽器を吹いてる下手の横好きのつぶやきでした。
いくら何でもお隣さんに申し訳なく、本日はちょうどこの暑いさなかに屋外作業があったので、ここはついでと思い切って夕方から伐採にかかりました。
ちょうど替え刃式のノコを新調したところだったので、それを活用して手の届く範囲で上から枝を払っていきます。成長の早い木だったものでさすがに柔らかく、ノコはすいすいと入りますが、生木は繊維がノコ刃にこびりつきやすく、すぐに切れ味が鈍ってしまいます。刃先の養生を欠かさないようにしながら伐り進めます。
アブラムシでもついていたのか、びっしりと木の全体を覆い尽くすようなアリに悩まされ、時には上側の枝からコウガイビルが落ちてきてびっくりしたりしながらも、2時間ほどで伐採終了。あとは枝をゴミ袋に入る大きさに分割して収容し、太い(といったって根元で直径10cm弱でしたが)幹や枝は荷造り用のテープでまとめ、落ちた葉を掃き集めて袋詰めすれば完了です。幹の部分を除き、70リットル入りのゴミ袋3つ分になりました。
着ていたシャツが夕立でもかぶったようにびしょ濡れとなり、だいぶ疲れましたが、大きく茂っていた木をまるまる1本伐採するというのは、かなりの達成感と爽快感を与えてくれるものだと改めて認識しました。
今年亡くなって10年になるわが業界の人気評論家、長岡鉄男さんが「21世紀には木こりが趣味になる」と書かれていたのを思い出しました。未来予測には定評のあった長岡さんですが、これもひょっとしたら当たるかな?
今回のものほどではありませんが、隣家との境にはもう1本細い木が生えてしまっています。この次はいつこの「漢(おとこ)の趣味」を満喫することができるかなぁ。
私自身、もう飲まなくなって十数年になりますが、それ以前はかなり凶悪な大酒飲みだった、ということはかつてエントリで告白したことがありました。
酒飲みにもいろいろな種類があって、一番大雑把なところでは日本酒でなければダメという人と蒸留酒派とに大別されますが、私は後者でした。中でも、量を飲むならウイスキーが主力でしたね。日本酒ではアルコール以外の介在物が多すぎて量を飲む前に味へ飽きてしまい、さりとて焼酎ではあっさりしすぎで結局レモンだライムだハイサワーだといろいろ用意する羽目になり、単に酒だけを延々飲み続けるならウイスキーが個人的にはまさに適任だった、というわけです。
そんなわけで、ウイスキーを浴びるように飲んでいた1990年代の半ば頃には、ハイボールもそれはそれは大量に消費しました。
普段、ウイスキーは氷のみを入れた状態、いわゆるオンザロックで飲んでいました。氷すら入れないストレートでは香りが立ちにくいことに加え、氷を入れることで徐々にウイスキーの濃度が変わり、それぞれの表情を楽しむこともできるからです。水割りよりもロックの方がウイスキーの表情は豊かになると思います。
ところが、大酒を飲んでいるとそう高い酒を日常的に飲み続けるわけにはいきません。必然的に安酒が中心になり、折りも折り、かつて住んでいたわが家のすぐ近くに安売り酒屋がオープンしました。店内には3本4,000円のスコッチなどというものがワゴンセールで大量に並んでいます。酒税の割合が違うので今ならそう珍しくもないですが、当時としては画期的な低価格でした。
ワゴンにはいくつもの(あまり見たことのない)銘柄が並んでいて、それらを片っ端から買い込んでいきました。そうしたら、同じ値段の酒でも結構いける銘柄もあれば、首を傾げざるを得ない味わいのものもあるわけです。
それでも、買ってきたからには飲んでしまわねばなりません。そんな時に重宝したのがハイボールです。ハイボールは安ウイスキーの荒々しさ、過剰な甘み、刺激成分などを巧みに和らげ、口当たりよく楽しませてくれます。
また、飲み屋に入ってそこの酒がやたらと荒っぽいバランタインや甘ったるいヘイグだったりしても、ハイボールなら美味しく飲むことができました。
一方、ウイスキー飲みを自認していた小生でありますから、サントリーにもそれはそれはお世話になりました。しかし同社のブレンドウイスキーは、かなり序列がはっきりしているというか、個人の好みでいうならば角瓶から上は立派なもので、氷と一緒に楽しむことができますが、ホワイト、レッド、トリスとグレードが下がっていくに連れ、ちょっと楽しみながら飲むことが難しくなっていき、トリスに至っては積極的に飲みたいと思うことの難しい、ただ荒っぽいだけの酒だったと記憶しています。
でも、このたびの新製品は「トリハイ」(懐かしい言葉だな)だそうですね。ならばいかな荒くれ者のトリスでも美味しく飲めるのは約束されたも同然です。しかも、角ハイボールに比べて350ml缶1本あたり30円も安いとなれば、これは結構なお買い得品でありましょう。おりしも角ハイボールの大ブームで角瓶そのもののの原酒が底を尽きかかっていると聞きます。ならば、せっかくのハイボールです。安いトリスで大いに楽しめばよいのではないでしょうか。


by nihonhanihon
政治を変えるにはまず選挙民の…